快復はゆっくりと

2007年8月6日
こんばんは、いづみです。

2日から5日まで、非常に短い滞在でしたが、祖母の様子を見に沖縄に行っていました。

初日に見舞ったとき、祖母はまだいくつものチューブにつながれており、ほとんどウトウトしていて、とても小さくなってしまったように感じました。

しかし2日目、3日目、と一日ずつ、少しずつではありますが、祖母は回復を見せていました。
点滴がはずれ、おかゆを平らげ、自発的に車椅子でリハビリをし、そして母がずっと懸念していた「笑顔」が出ました。

カステラが食べたいと言ったので買っておいたのを、

「おばあ、カステラ食べてね」
と念を押したら、
「ああ、あとで食べるさー」
と破顔。

「ごはんもいっぱい食べて、体もたくさん動かせばすぐ良くなるさー」と言ったら
「ゆっくり治すからいいさー」
とニヤリ。

短い滞在のうちにも、じわじわとおばあの生命力がみなぎってくるのを感じました。

よかった。
おばあはまだ生き延びようとしている。
長丁場にはなるだろう。おばあは生きる覚悟を決めている。

「もう東京に帰ろうねー」(〜しようねー、という言い方は沖縄では「私は〜しますよ」というくらいの意味。Let’sの意味はない)という私に差し出したおばあの手。
おばあの手はとても大きく、指が太く、暖かかった。
おばあ、こんなに大きな手をしてたっけ。

世話をしてくれているのは、おばあの最初の旦那さんの再婚相手の長男。(どんだけ遠い関係・・・)
おばあは死んだら最初の旦那さんの墓に入ると決め、トートーメー(仏壇のような神棚のような位牌のような・・・上手く説明できないけど、とにかく先祖代々を祭るもの。代々長男が受け継ぐ)をその長男に譲り、自分の財産も譲ることにした。
それでその方はおばあの面倒を見てくれているのだ。
70歳のおじさん(おじいさんと呼ぶにはあまりに若々しい)で、小躯だけれど余分な肉付きのない、浅黒で精悍な人だ。
それでもやはりおばあの付き添いには疲れが見えた。

ずっとずっとおばあの枕元に座っていたかった。
リハビリを手伝いたかった。
きっとそれは母も同じ気持ちだろう。
でも現実にはそれぞれの家庭があり仕事があり生活がある。

今度母が沖縄に帰るのは旧盆明けらしい。
それまでに、ゆっくりと、ゆっくりと、おばあのペースで命よ、その灯りに力を増せ。

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